天上界からメッセージ

天上界からメッセージ

(30数年にも亘り膨大な量の「天上界からメッセージ」を戴いております。その内のいくつかを御紹介します。)

正法を学ぶ人々の為に①ミカエル大王様メッセージ

『天上界メッセージ集Ⅰ』 

「私はミカエルです。私の名を御存知ない方は、キリスト教の旧約新約聖書に出ておりますし、マホメットにもジーブリール即ちガブリエル大天使と共に啓示を与え、ミーカイールと紹介されています。

ミカエル大王様肖像画
ミカエル大王様肖像画

またオルレアンの少女ジャンヌ・ダルクに使命を与え、オルレアン市からイギリス軍の占領を退けた聖女を守り助けた大天使ミカエル、聖ミカエルとしても知られております。イエス様誕生の折は、ガブリエル大天使と共にマリア様のもとに現われ生誕を告知致しました。

さて、私がこのたび千乃裕子様を通して現象形式であなた方に呼びかけるのには大きな意義があります。それは、この七月を以って私達天上昇高次元の顔ぶれが代わり、私ミカエルがエル・ランティ、即ちエホバ様に代わり天上界の最高指揮官としてその任に就き、それと同時に、元六大天使が総て九次元に昇格致しました。そして新しくこのたびは、七大天使が任命され、大天使長には太陽界中位の天使でありかつサブリーダーであった者がなりました。

平和のために、正法のために尽くす

九次元のブッタ様、イエス様、モーセ様は宇宙界に上がられました。詳しくは第二巻 『天国の証』(改訂版)に記載されております。新しい七大天使に支えられ天上界の高次元はいままでと違った方針で計画を立て実現を図るつもりでおります。 いままで発表されたものとして善霊の基準が大幅に変わりしっかりした善悪の判断力を身につけた方でなければ、天上界に迎え入れることは出来なくなりました。 微細な点に至る迄善悪の判断力がなければならないのです。また、勇気ある方のほうが、 ない方よりも喜ばれます。人のために進んで己を投げ出し、善のために、平和のために、正法のために尽す、それが最も私たち天上界の喜ぶところなのです。これが第一。

能力開発と思考訓練

そして、第二は『天国の扉』で申したことですが、人間の一生というものは、肉体を伴ういままでの生がある限りで、死後には天上界に迎えられれば永遠に魂、霊体として存在します。ということは、いま成すべき事を成しておかねば、学ぶべき事を学んでおかねば恵まれた 環境で自分がその機会を与えられるということはもうなくなるのです。
その人の一生が後の霊としての生涯を定めるのです。価値ある者か無き者か、優れたる者か、成長の止まれる者か、90%の大脳の活躍とて本人が生ある聞に如何にその脳細胞、 大脳皮質に学習をさせたかによります。それによって全体の価値基準が決まるのです。
誰もが同じレベルになるわけではないのです。能力を開発させ思考訓練をしておかねば、 死して後に同じことは絶対に出来ません。霊体の仕事はただ人の一生の助力者として 導き教えてゆかねばならないだけなのです。他の人の指導をしなければならないのです。
例え合体霊としてもその人を導いてゆかねばならないのです。

それが出来ぬ頭脳ならばもはや天上に籍を置く資格はなくなるのです。
魂においてはもっと進んだ形での己を磨き鍛え浄化させることが必要となります。 これは己について反省を日々行い改めねば達成されません。サタンの甘言といざないと甘やかしに己の虚栄心をくすぐらせて喜んでいるような人間は、正法を学ぶ資格さえないのです。
それはこのたびの二月の最終的なサタンとの戦いにおいて天上界は何を為すべきかをはっきり知らされました。善悪の基準のしっかりしていない善霊たちの次から次への裏切りでどれだけ天上界は迷惑を被ったか知れないのです。
ただ善人であることだけでは助けとならなかったのです。サタンの惑しと誘いにすぐ私たちやエル・ランティ様をうら切り、サタンと共に天上界に刃向ったのです。情けないことに半数が死にましたが、これは消滅と同じことで、霊体として存在しなくなることです。 その中の四分の三がこうしたうら切り者で私たちに滅ぼされたのです。

善悪の基準と共にサタンの言葉の何が誤りで不合理であるかを見抜く英智を養っていなかったのです。これは生前の暮し方によるものが大半で死後の天上界での魂の修行は身についていませんでした。悲しいことに生前に厳しく自己を鍛練した者でなければ、死後に徳を養うことは出来なかったのです。また生前の徳を保つことも出来ませんでした。

霊の世界と三次元不明の点を明らかに

第三に定められていることは、今生における正法流布の目的は人々をして迷信から合理的思考へと導きだし、徹底的に霊の世界と三次元との関わり合いにおいて不明の点を明らかにし、即ち私たち天上の者の知る限りの真実と真理を与え宗教という有名無実の却って人々の魂の修行の妨げとなり、神についての知識を迷妄に導く宗派・団体を解散させこの世から去らせるものです。
この世から消え失せさせるものです。僧職の解釈があるために、牧師の説教と独断的解明があるために、どれだけ天上界と人々は遠きに隔てられ、理解を阻まれたことでしょう。
世の中があらゆる分野において科学優先となり、人々の学習レベルが上がり、知的水準が高くなり、私たちの語るごく人間としてあたりまえであり、常識的に物事を見極めていこうとする態度を理解して下さるまでに成長された、それが故の私たちの証です。

これは私たちを低くするわけでも卑しめるわけでもありません。
善人であっても教養と立派な人格、徳と知性とを備えた者のみを私たちはいま選んでいるのです。それ以外は唯人類を混乱と、破壊に陥れる者のみでした。善人であっても愚かであれば人の迷惑となり、全体の進歩をはばむものです。人々の全体の向上を低下させるものです。そのためにあなた方は老いも若きも等しく、向上し続けなければなりません。要するに精神的な成長を望むのです。立派な成人としての人格を望むものです。年をとっていてもわがままな子供のような精神状態に退行してはいけないのです。ましてや三十代、四十代、五十代、二十代もそうです。賢明な人々、それを私たちはパニャ・パラミッターを得た人々と呼び重要視致します。

牧師であっても、僧侶であっても天上界の語る言葉とサタンの惑わしを見ぬけぬ者の方が多いという悲しい事実も知っております。それが故に宗教は人の知的水準を高めるものではなく逆に低めるものであり、盲いたる者にするものであるとの結論に達し、その解体に踏み切ったのです。

今日はこのくらいですが、いずれ天上界にて定められた方針等につきあなた方に語りましょう。どうぞ望みを捨てず、光の中に歩み、正しき事、善なる事、そして賢き事を目標に日々を過ごしていって下さい。これで終ります。」(1978年7月10日)

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ガブリエル様のメッセージ

『慈悲と愛』(創刊号)より抜粋

「(略)『天国の扉』に続く天上の害『天国の証』において私達は、いままで皆様に語ることの出来なかった天上の苦衷を誠意と限りなき悲しみをこめて語りました。そして同時に 「最後の審判」という大いなる裁きが人々の徳と罪とを秤にかけて行われているという事実も明らかにしました。

ガブリエル様肖像画
ガブリエル様肖像画

しかしそれは善なる心の人に恐れを齎すものでもなく、徳高き人々に世界の暗闇が身近にあると伝える宣言でもないのです。

却ってこれらの人々は神にありて喜び、その人々と同じ心を神々が、天上の者が有していることに共感を覚えて勇気づけられねばならぬものなのです。

人々の中には〝厳しすぎる〟〝慈悲と愛が足りない〟と評された人もいますが、神における善我の心とは、磨かれた、光を放つものでなければならぬのです。原石を磨いて宝石とするのに研師はどのような仕事をするでしょうか。磨かれる原石にとっては決して居心地のよい楽しいものではありません。研磨とはそのような仕事です。ごつごつとした石を割り、荒い表面を磨きに磨いて表面を滑らかにし、水をかけては汚れを洗い流す。それを何度も何度もくり返すのです。

そのようにあなた方は神の戒めと光によって、そして自己の反省と改めによって魂を磨かねばなりません。

慈悲と愛はいかなる世にも善に徹し、徳に親しみ、賢者となる時自然に解るのです。 魂が堕落を許されぬ環境において、神の光を感じ、清々しく悪の心を容れぬ浄められた良心に おいて、人と対する時、心からなる誠意と善と思いやりが湧き出てきます。 何の躊躇もなく、何が正しく、何が誤りであるか見抜き、指摘することが出来ます。

それは魂の歌であり泉なのです。

そして人の世の汚れに染まぬ心を持ち、自然の美しさに触れ、鳥や動物の無邪気なそして自然の摂理に叶った生活を目にする時、またそれらへの限りなき慈しみの心が溢れ出てくるのです。

神の恵みとはこのことであるかと悟り、天上の大いなる慈悲と愛をしみじみと感じるでしょう。そしてこれは波動の荒々しい、投げやりで荒んだ感情や心の人や、己れのことのみに明け暮れる人には決して悟れぬものだと私は断言致します。

パウロは奇しくも次のように申しました。
〝十字架の言(ことば)は、滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには、 神の力である〟これを〝神の言(ことば)は〟〝わたしたちには神の恵みである〟と置き換えて 考えて下さい。」

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